チーム医療のくすり(その11)

どーもです。

ようやく今回の伝えたいテーマを紹介できそうでホッとしているアキヤマです。

きっとチーム医療って、それぞれの立場で、それぞれの専門職が互いに尊重しあい、一人の患者の隠されている病態を、一人の患者の健康の為に戦うことだと僕は思います。その戦いこそが美しいのだと僕は恥ずかしさいっぱいに言いたいことなのです。
だって男子たるもの、強くこうしたいと元来言うべきであり、形容詞に頼るなんて不思然と思いませんか?

人はいろいろです。

他人の痛みも分からず言葉に酔いしれる、はっきり言います。
いやみです。皮肉です。それを美しいという人もいます。
でも医療はそれでは許されません。
ドンくさくても寡黙に戦うしかないのです。

医療はもしかしたら必要悪といえるのかも知れません。

- 自然界のお付き合いで考えれば不健康になり死に向かい、死ぬことが正しい姿とするならば自然界の掟に反し、社会性の動物である人間が人として社会に健康に復帰するあるいは参加する行為を作り出すわけですから-

僕の仕事は命ではありません。健康です。

健康になり、また頑張れる。
そういう社会への貢献が、あるいは社会へ還元する事が、僕達の仕事なのです。

美しいという言葉に酔いしれ、けじめを忘れるということは、口先だけの仕事は分かりませんが(別名詐欺師といいます。)私は結果を出すことが仕事です。そんな結果を出すため作り上げたのが秋山歯科のチーム医療なのです。

チーム医療、それは理想です。そして現実にすべき課題と僕は、思います。これは、僕だけが、行えば良いといいものでは、無いのかもしれません。

ただ、これを、作ろうと強く決めたのではなく、元々は、僕にあった、一つの疑問からが、スタートになったと、今になって思います。

実際作り上げるためには生半可な努力ではムリです。秋山歯科ではようやく(チームが)出来上がりました。ただし、今のところは、何とかチームが存在するだけで、もっと難しい病だの患者が来たとき、僕はチームを強くして、チームワークで、患者に対峙したいと思っております。
チームをどう編成するのか、常にアキヤマは真剣なのです。

“夏のやみ 真な意味の チーム医療”

次のページへ